大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所小倉支部 昭和42年(わ)773号 判決 1970年1月16日

被告人 渡辺富士男

昭七・一〇・一六生 自動車運転手

吉井通保

昭六・一〇・二二生 西鉄バス運転手

主文

被告人渡辺富士男を禁錮六月に処する。

ただしこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

被告人吉井通保は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人渡辺富士男は、大型自動車免許をもち昭和四一年一〇月以来久留米運送株式会社に運転手として雇われ自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和四二年五月二八日午前五時一〇分頃大型貨物自動車(日野四〇年式七・五トントラツク福岡一い四六四号)を運転し、北九州市八幡区大字熊手一四番地の一附近の国道二〇〇号線を同区筒井通り方面から直方市方面に向け時速約五〇キロメートルで南進し、同番地先の十字路交差点(通称曲里一六丁目交差点)に差しかかりこれを通過しようとしたが、同交差点は左右の見とおしがきかず、対面する信号機の信号が故障のため作動していなかつたのであるから、このような場合自動車運転者としては、交差点手前で徐行するか情況によつては一時停止して左右に通ずる道路の安全を確かめてのち進行し、出会い頭の衝突等の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、単に警音器を吹鳴したのみで漫然前記速度のまま同交差点に進入しようとした過失により、折から右方に通ずる道路より東西進めの青信号に従い同交差点に進入しようとした吉井通保(当三五年)の運転する大型乗用自動車(北九州二い三四九六号)を右斜前方約二四・九メートル(交差点の手前約一三・五メートルの地点)にいたり始めて発見し、あわてて急制動の措置をとりハンドルを左に切つてこれを避譲しようとしたが間に合わず、交差点中央附近において、自車の右前部を右大型乗用自動車の左側面前部に斜から衝突させ、よつて右吉井に加療約五日間を要する左肘関節挫傷兼左下腿擦過傷の傷害を負わせたほか、別紙一覧表(略)記載のとおり同車の乗客である時津好男等一九名に対し「傷病名」欄記載の各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人渡辺の弁護人の主張に対する判断)

同弁護人は、本件事故は被告人渡辺の対面する信号機の信号が故障していたことが決定的原因であるから、同被告人の運転に過失はないと主張する。

なるほど司法巡査中尾徹作成の実況見分調書、現場写真撮影報告書および被告人渡辺の司法巡査に対する供述調書によれば、本件交差点進入前に被告人渡辺の目撃した北面の信号機は、赤信号のみが電球の球切れのため点灯せず、しかもその間東面と西面の信号機が青又は黄の信号を表示していることは被告人渡辺にとつて予見できなかつたことが認められる。

しかし、信号機が設置されていても信号の故障により正常に信号の表示がなされていない交差点は、その信号機に対面する運転者にとつてはいわゆる交通整理の行なわれていない交差点(道交法四二条参照)になると解すべきであるから、右交差点の通過に際し当該運転者に過失があつたかどうかを決定するにはなお交差点の左右の見とおし、道路の情況その他の具体的情況について検討されなければならない。

司法巡査中尾徹作成の実況見分調書および現場写真撮影報告書、当裁判所の検証調書、第五回公判調書中の証人中尾徹の供述部分、被告人両名の司法巡査および検察官に対する各供述調書によれば、本件交差点は南北に通ずる総巾員一七・八メートル(うち両側の非舗装部分を除いた中央の舗装部分は七・八メートル)の国道二〇〇号線と、東西に通ずる総巾員一四・六メートル(右同七メートル)の市道とが直角に交わる十字路交差点であつて、双方の巾員に広狭の差が明らかとは認められないこと(道交法三六条二項参照)、右交差点の四隅には、青、黄および赤の三色を備える横型信号機が設置され、前記認定のとおり東南角にある北面信号機の赤信号が点灯せず故障していたが、その他の信号はすべて正常に作動していたこと、被告人渡辺の南進した国道は見通しのよい直線道路で事故当日約八〇〇メートル手前より対面信号機の作動情況を確認でき、その青色、黄色、赤色の各信号の作動時間はそれぞれ二九・三秒、六・五秒、四一・七秒(赤信号については後述のとおりの他の信号機の作動時間との関係から算出)と認められること、本件交差点附近は両側に三菱化成社宅や国鉄公社が建ち並ぶ住宅地帯で最高速度四〇キロメートルに規制され、北から同交差点に進入する場合左右とも高さ約二メートルの板塀が回らされ樹木も伸びた人家により視界が妨げられ左右の見とおしはきかないこと、本件事故当時、被告人渡辺が右交差点に差しかかる手前約一キロメートルの交通量は、自車の約八〇〇メートル前方に一台の先行車があり、また対向車二、三台と離合したことなどの事実が認められる。

右認定の情況の下においては、本件交差点を南進通過しようとする自動車運転者は、たとえ信号機の信号が作動していないいわゆる交通整理の行なわれていない交差点であつても、左右の道路から車両等の進入してくることは十分予想しうることであり、従つて予め交差点の手前で徐行し情況によつては一時停止のうえ左右の安全を確認する業務上の注意義務あることは明らかである(道交法四二条、一一九条一項二号参照)。

しかるに、被告人渡辺の当公判廷における供述、司法巡査に対する供述調書、鑑定人榊原幸三の当公判廷における供述および押収してあるタコグラフ一枚(昭和四四年押第一一二号の一)によれば、被告人渡辺は、本件事故現場の手前約三〇〇メートルの交差点を通過した際対面信号機の赤信号が点灯していないのを見て、当日が日曜日で早朝のことでもあり、手前の交差点二ヶ所を通過したときいずれもその信号機が作動していなかつたことから、本件交差点も信号機のスイツチを入れていないと考え、制限時速四〇キロメートルを約一〇キロメートルオーバした時速約五〇キロメートルのまま、同交差点を通過しようとし、その手前約一九・六メートルの地点において警音器を吹鳴したのみで進行したところ、右斜前方約二四・九メートル(交差点の手前約一三・五メートル)の地点において右側道路からまさに交差点に進入せんとする相被告人吉井の運転するワンマンバスを認めあわてて急制動の措置をとりハンドルを左に切つてこれを避譲しようとしたが間に合わず本件事故に及んだことが認められ、被告人渡辺の運転に過失の存することは明瞭である。

(法令の適用)

被告人渡辺富士男の判示所為は、行為時においては昭和四三年法律六一号による改正前の各刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては同改正後の各刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法によることとし、右は一個の行為で二〇個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い時津好男に対する業務上過失傷害罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で同被告人を禁錮六月に処し、諸般の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して同被告人にこれを負担させないこととする。

(被告人吉井の無罪の理由)

一、本件公訴事実第一は、

被告人吉井通保は自動車運転業務に従事している者であるが、昭和四二年五月二八日午前五時一〇分頃、大型乗用自動車(北九州二い三四九六号)を運転し時速約二五キロメートルで左右の見とおしのきかない八幡区曲里一六丁目交差点を同区穴生方面から同区黒崎方面に向つて東進するに際し、あらかじめ左右の交通の安全を十分確認するは勿論、折柄約二四・九メートルの左方道路から渡辺富士男(当三四年)の運転する大型貨物自動車が同交差点に接近して直進して来るのを察知したから、直ちにハンドル、ブレーキ操作により最徐行又は停車、避譲の措置に出て、出会い頭の衝突等の事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、対面する信号機の信号が「青」であつたから危険はないと速断し、左右の安全を確かめず漫然同速度で同交差点内に進入した過失により、右大型貨物自動車が南進して来たのに気付かず、自車左前部を同車右前部に衝突させ、よつて右渡辺に加療三四日間を要する右第一一肋骨々折等を負わせた外、自車に乗つていた別紙一覧表(略)記載の時津好男等一九名に対して別紙一覧表(略)記載通りの傷害を負わせたものである。

というにある。

二、前示(証拠の標目)欄記載の証拠によれば、被告人吉井は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四二年五月二八日午前五時一〇分頃大型乗用自動車(北九州二い三四九六号)を運転し、北九州市八幡区大字熊手一四番地の一附近の市道を時速約二五キロメートルで東進中、信号機のある左右の見とおしのきかない同番地先の十字路交差点(通称曲里一六丁目交差点)の手前約六〇メートルの地点に差しかかつたところ、対面する信号機の信号が「赤」から「青」に変つたので前記速度のまま同交差点に進入したところ、判示のとおり折から南北に通ずる左側道路を時速約五〇キロメートルで南進し同交差点内に進入してきた被告人渡辺の運転する大型貨物自動車の左前部に自車の左側面前部が衝突し、よつて右渡辺および乗客ら二〇名が本件公訴事実第一記載のような各傷害を負つたことが認められる。

三、そこで右事故に被告人吉井の過失があるかどうかについて検討する。

司法巡査中尾徹作成の実況見分調書および現場写真撮影報告書、当裁判所の検証調書、被告人らの司法巡査に対する各供述調書および被告人吉井の当公判廷における供述を綜合すれば次の事実を認めることができる。

(1)  本件交差点は、前記認定の如く南北に通ずる総巾員一七・八メートルの国道二〇〇号線と、東西に通ずる総巾員一四・六メートルの市道とが直角に交わる十字路交差点であつて、その四隅にはそれぞれ横型信号機が設置されていたこと、

(2)  本件事故当時における右各信号欄の信号の周期および作動状況は左のとおりであつたが、前記市道を東進し本件交差点を通過しようとする自動車運転者は北面信号機の信号の故障を発見することは不可能であつたこと

信号機の方向(位置)

青信号

黄信号

赤信号

作動状況

1

北面(東南角)

二九・三秒

六・五秒

四一・七秒

赤信号のみ故障

2

南面(西北角)

五一・五秒

四・八秒

二一・二秒

正常

3

西面(東北角)

一七秒

四・二秒

五六・三秒

正常

4

東面(西南角)

一七秒

四・二秒

五六・三秒

正常

(3)  前記市道を東進し本件交差点を通過しようとする自動車運転者は、同交差点の左右に家屋又は高さ約二メートルの板塀などが迫つてその左右の見とおしはきかなかつたこと、

(4)  被告人吉井は、昭和四一年八月頃から西日本鉄道株式会社八幡自動車営業所所属のバス運転手として八幡区穴生循環のワンマンバスを専門に運転し、本件交差点はその定期路線にあたり一日平均一五回位通過し、また本件事故の時間帯における運転もこれまで約一〇回経験したことがあり、同交差点附近の道路の状況や交差点および信号機の状況は熟知していたこと、

(5)  被告人吉井は、当日午前四時四八分始発のバスである本件大型乗用自動車(定員七五名)を運転し、八幡区穴生八幡営業所前を出発し、前記認定のとおり同日午前五時一〇分頃本件交差点の手前約六〇メートルの地点を時速約二五キロメートルで東進中対面信号機の信号が「赤」から「青」に変つたのを認めたので同被告人はそのまま安全に十分通過できると考えて同交差点に進入したこと、

(6)  右進入時同交差点内およびその進路上には他の車両は存在しなかつたこと。

検察官は、「本件交差点のように、人家、板塀のため見とおしのきかない交差点においては、乗客多数を輸送する職務の特殊性を考慮のうえ、信号の如何にかかわらず、左右の交通の安全を確認することが必要である」と主張する。

しかしながら、以上認定のような情況の下において、本件交差点に進入しようとする自動車運転者に対しては、他に特別の事情のないかぎり、あえて交通法規に違反して高速度で同交差点に進入しようとする車両のありうることまでも予想し、徐行又は一時停止して左右の道路の安全を確認して事故の発生を未然に防止すべき注意義務はないと解するのが相当である(最高裁判所昭和四三年一二月一七日第三小法廷判決、同一二月二四日第三小法廷判決―判例タイムス二三〇号二五四頁参照)。

しかして、一方被告人渡辺は、前示認定のとおり対面信号機の信号が故障し、左右の見とおしのわるい交差点であるのにかかわらず、あえて本件交差点に時速約五〇キロメートルで進入したものであり、かかる以上被告人吉井に対し前記注意義務違反を認めることはできない。

また検察官は、被告人吉井が本件交差点内に進入直後の相手方車両の発見可能な地点をとらえ、その瞬間ハンドル、ブレーキ操作により急停車、避譲の措置に出て出会い頭の衝突事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があると主張するようであるが、前記の如く同被告人が交差点の手前において徐行または一時停止して左右に通ずる道路の安全を確認すべき義務がない以上、時速約二五キロメートルで交差点に進入した同被告人としては、たとえ左斜前方約二四・九メートルに時速約五〇キロメートルで南進してくる相手方車両を認めたとしても、発見可能な地点から衝突地点までの距離が約一五・四メートルであるから、実験則上これとの衝突を回避することは不可能に近く、本件交差点の具体的状況を前提とするとき検察官主張の如き注意義務はない。

よつて、いずれの点からも被告人の運転に過失はないといわざるをえない。

四、結局本件公訴事実第一は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人吉井を無罪とする。

よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例